環境エピゲノミクス研究会第7回定例会

日時:2012年5月12日(土)午後1時から5時30分まで

場所:国際基督教大学国際会議場(JR三鷹駅/武蔵境駅からバス20分/10分)

参加費: 3000円 (会員および学生・院生は無料) 午後1時から   総会

1時20分から  一般発表         座長 下位香代子会員 (静岡県立大学・環境科学研究所)

1・メチオニン・コリン欠乏食によるグローバルなDNAメチル化への塩基除去修復機構の関与  

  内匠正太・佐野友春・野原恵子(国立環境研究所・分子毒性機構・環境計測化学)

2・ホルムアルデヒドによるヒストン修飾変化と前がん遺伝子発現制御

吉田唯真・豊岡達士・伊吹裕子 (静岡県立大学・環境科学研究所)

2時から5時半までシンポジウム「環境エピゲノミクス―毒性学と臨床医学をつなぐもの―」 

       毒性学から   座長  伊吹裕子会員(静岡県立大学・環境科学研究所)

1.五十嵐勝秀先生 (国立医薬品食品衛生研究所・毒性部)          エピゲノム変化が関与する毒作用発現

2.野原恵子会員 (国立環境研究所・分子毒性機構)               無機ヒ素による発がんへの変異とエピ変異の関与

臨床医学から   座長 須藤鎮世会員 (就実大学・薬学部)

3.近藤豊先生 (愛知がんセンター研究所・分子腫瘍部)             発がん過程における環境因子とエピゲノム異常

4.酒井寿郎先生 (東京大学先端科学技術研究センター・代謝医学分野)   肥満・糖尿病発症におけるエピゲノムの役割

総合討論 午後5時半から7時半まで 

懇親会(参加費4000円・学生・院生は2000円)

環境エピゲノミクス研究会担当幹事布柴達男 nunoshiba@icu.ac.jp             代表幹事澁谷徹t.shibuya.tox21@zpost.plala.or.jp

   一般演題      座長 下位香代子会員 (静岡県立大学・環境科学研究所)

1. メチオニン・コリン欠乏食によるグローバルなDNA低メチル化への塩基除去修復機構の関与

                                                          内匠正太1)、佐野友春2)、野原恵子1)

   1) 国立環境研究所環境健康研究センター分子毒性機構研究室 2) 国立環境研究所環境計測研究センター環境計測化学研究室

【目的】近年、DNAメチル化異常が多くの疾患に関与することが報告されており、DNAのメチル化異常を誘発するメカニズムの解明が待たれている。齧歯類へのメチオニン・コリン欠乏 (MCD) 食投与はDNA低メチル化と酸化ストレスを誘導することが報告されている動物実験モデルであり、DNA低メチル化の原因の一つとしてDNA損傷の蓄積に伴うDNA修復機構の関与が示唆されているが、その詳細については未だ不明な点が多いのが現状である。そこで本研究ではDNA修復の一つである塩基除去修復機構に着目し、MCD食投与によるDNA低メチル化への酸化DNA損傷及び酸化DNA損傷に伴う塩基除去修復機構の関与について検討することを目的とした。また、近年thymine DNA glycosylase (TDG) による塩基除去修復を介した能動的脱メチル化機構が報告されたことから、TDGを介した能動的脱メチル化機構の関与についても検討した。【方法】6週齢、雄C57BL/6jマウスにcontrol食及びMCD食をそれぞれ投与し、1週間及び3週間自由摂食させた。投与終了後、マウス肝臓を摘出し、肝臓からDNAを抽出した。抽出したDNAを用い5-methyldeoxycytidine (5-medC) をLC/ESI-MSで、酸化DNA損傷である8-hydroxy-2’-deoxyguanosine (8OHdG) をHPLC-ECDでそれぞれ測定した。更に、摘出した肝臓からcDNAを調製し、リアルタイムPCRにより酸化ストレス誘導遺伝子、酸化DNA損傷修復遺伝子及び能動的脱メチル化関連遺伝子の遺伝子発現解析を行った。【結果・考察】MCD食投与1週間で5-medC量は減少傾向にあり、3週間で有意な低下が観察された。また、酸化ストレスにより誘導されるHO-1及び8OHdGの有意な増加が確認され、MCD食投与により酸化ストレス状態にあることが確認され、8OHdG量と5-medC量が有意な負の相関を示すことが明らかになった。次に、8OHdGの塩基除去修復を行うOgg1及び8OHdGと誤対合したアデニンの塩基除去修復を行うMutyhの発現解析を行った結果、Mutyhの有意な発現増加が観察され、8OHdGの生成に伴う塩基除去修復の活性化がMCD食投与によるDNA低メチル化に関与することが示唆された。また、TDGの発現解析を行った結果、有意な発現増加が観察されたことから、TDGを介した能動的脱メチル化に関与する酵素の発現解析を行った。その結果、5meCを酸化修飾するten eleven translocation (Tet) ファミリーであるTet2, Tet3の有意な発現増加が観察された。このことから、Tet-TDGを介した能動的脱メチル化機構の活性化が示唆された。以上の結果から、MCD食投与によるDNA低メチル化に塩基除去修復機構の亢進が関与していることが示唆された。  

2.ホルムアルデヒドによるヒストン修飾変化と前がん遺伝子発現制御

              吉田 唯真・豊岡 達士・伊吹 裕子   (静岡県立大学 環境科学研究所)

 近年、エピジェネティック変化による遺伝子の制御が示唆されている。中でも核内クロマチンの構造変化は特定の遺伝子群の誘導もしくは抑制を引き起こし、発がんプロモーションに関わっていることが明らかになっている。例えば、ヒストンH3のリン酸化は細胞が分裂促進因子や各種刺激物質に曝された際に誘導され、proto-oncogeneであるc-fosやc-junなどの発現に関連しているとされる。環境化学物質による発がん過程はヒストンの化学修飾等のエピジェネティック変異の影響を含めて考えるべきであるが、実際に化学物質によるヒストン修飾変化を検討した例は少ない。我々は発がん化学物質の中でも、ヒストンと高い反応性を持つことが知られているホルムアルデヒド(FA)作用後の変化について検討を行ったところ、FAを短時間高濃度暴露した際にヒストンH3Ser10のリン酸化、近傍Lysのアセチル化状態が変化すること、それが前述の遺伝子発現に関与することを明らかにしたので報告する。ヒト肺上皮細胞A549にFAを作用させた結果、作用後2時間をピークにヒストンH3Ser10がリン酸化された。このリン酸化は細胞周期非依存的であり、caffeine及びwortmanninによりほとんど抑制が見られないことからDNA損傷応答経路の関与は低いと考えられた。一般に、ヒストンH3Ser10のリン酸化は分裂期の細胞マーカーとして知られている。そこで細胞分裂制御に関連する情報伝達経路であるMAPKの関与を阻害剤及びsiRNAを用いて検討したところ、主にJNK経路がリン酸化に関与していることが明らかとなった。一方、リン酸化を負に制御する脱リン酸化酵素活性をIn vitro phosphatase assay で検討したところ、活性の低下は見られなかった。FA作用により活性酸素種(ROS)が産生されたが、H2O2作用ではリン酸化は誘導されず、抗酸化物質Trolox共存下でもリン酸化されることから、リン酸化誘導に対するROSの関与は低いと考えられた。ヒストンH3Ser10のリン酸化に伴うとされるH3Lys9, Lys14のアセチル化は、FA作用開始直後から一時的に減少し、その後6時間以降は増加した。DNA損傷マーカーとして知られるヒストンH2AXSer139リン酸化が2時間以降次第に増加したことは、FAにより生成したDNA損傷の修復を示唆していると考えられた。また、ChIP法を用いた検討によりFA作用後c-fosプロモーター領域におけるH3Ser10リン酸化が上昇することから、FAによるH3Ser10リン酸化誘導がproto-oncogeneの発現を誘導し発がんを促進する可能性が示唆された。本研究では、FAはヒストンの化学修飾を変化させること、それががん関連遺伝子発現に関与することを明らかにした。今後は低濃度・長時間暴露によるヒストン修飾変化の検討を行うとともに、他のアルデヒド化合物について検討を行う予定である。

   シンポジウム「環境エピゲノミクス―毒性学と臨床医学をつなぐもの―」 毒性学から   

             座長  伊吹裕子会員(静岡県立大学・環境科学研究所)

1.エピゲノム変化が関与する毒作用発現      五十嵐勝秀(国立医薬品食品衛生研究所・安全性生物試験研究センター・毒性部)

化学物質の生体影響が、暴露後時間が経ってからも現れる現象を説明しうる仕組みとして、エピジェネティクスが注目されている。エピジェネティクスは、ゲノムDNAがヒストンに巻き付いて出来るヌクレオソームへの後天的な修飾による転写制御機構であるが、その修飾の実体や、修飾を制御するタンパク質群、修飾を読み取り転写制御を実行するタンパク質群など、基本機構の解明が相次いでいる。更に、ゲノム全体のエピゲノム状態を解析する技術も利用可能になりつつあり、基礎研究の著しい進展を後押ししている。しかし、エピゲノム解析の化学物質の毒性研究への適用はまだ進んでいるとは言えず、特にゲノム全体を念頭に置いた網羅的な解析はほとんど例が無いのが現状である。我々は、化学物質によるエピゲノム影響が及ぶゲノム領域をあらかじめ予測するのは非常に困難である以上、出来る限り網羅的な解析を可能としていくことが重要であると考えている。本発表ではそのような試みの例として、ヒストンの脱アセチル化酵素を阻害するバルプロ酸の解析例や、内分泌撹乱作用が疑われているビスフェノールAの解析例を紹介したい。また、毒性研究へのエピゲノム解析の適用を推進する観点から、現在の網羅的エピゲノム解析技術について実際の使用感を紹介し、皆様からぜひ活発な御意見を頂き、今後の研究に生かしていきたいと考えている。

2.無機ヒ素による発癌への変異とエピ変異の関与    野原恵子( 国立環境研究所・環境健康研究センター・分子細胞毒性、 筑波大学

                                     大学院 生命環境科学研究科)  

 現在世界中で、井戸水に混入した地質由来の無機ヒ素(ヒ素)による慢性中毒が発生し、大きな環境問題となっている。比較的早い段階で皮膚症状が現れ、20-30年後に癌が発生することが報告されている。また近年の疫学調査では、胎児期のヒ素曝露による成人後の癌の増加が報告されている。 C3Hマウスは、成長後に雄では肝臓に腫瘍を高率に自然発症する系統である。妊娠中に10日間のみヒ素を含む水を飲ませたC3Hマウスの母親から生まれた雄の仔では、74週令(1年5カ月)で肝癌を高率に発症することが報告された(Waalkes et al., 2003)。私たちの検討でも、ヒ素群の74週令雄では肝臓腫瘍の発生率、肝臓あたりの個数、1個当たりの大きさが、いずれも増加傾向を示すことが確認された。そこで私たちは、この実験系でヒ素の胎児期曝露が腫瘍を増加させる機序の検討を行ってきた。

1)胎児期ヒ素曝露によるHa-ras変異をもった肝臓腫瘍の増加: 74週令雄の肝臓の腫瘍について検討を行った。その結果、胎児期ヒ素曝露が特にHa-rasに、G:C to T:A transversionによって発生しうる変異をもった腫瘍の発生率を増加させることが明らかとなった。G:C to T:A transversionは酸化DNA損傷である8OH-dGから誘導されることが報告されており、Ha-ras変異の誘導にヒ素による酸化ストレス生成が関与する可能性が考えられた。

2)胎児期ヒ素曝露による後発的な遺伝子発現変化とエピジェネティック修飾の関与:  対照群とヒ素群の74週令の雄の正常な肝臓について、Affymetrix GeneChipを用いた網羅的遺伝子発現解析を行った。異なるサンプルを用いた2回の独立の実験で再現性よく発現変動が観察された遺伝子を選択し、real-time PCRによって発現変化の検証を行った。その結果、胎児期ヒ素曝露によって合計4遺伝子に発現増加または低下が検出された。これら4遺伝子の発現を、6週令および49週令の肝臓についても検討したところ、いずれも49週令以降または74週令で後発的に変化していることが明らかとなった。 上記4遺伝子の後発的遺伝子発現変化へのエピジェネティクスの関与を検討した。その結果、一部の遺伝子のプロモーター領域に、発現変化と対応した転写抑制型(H3K9me2)または転写活性化型(H3K4me3)ヒストン修飾の増加が観察され、これらのヒストン修飾が後発的な遺伝子発現変化に関与する可能性が示唆された。一方いずれの遺伝子についても、対照群とヒ素群でDNAメチル化の差は認められなかった。

3)胎児期ヒ素曝露による後発的な酸化ストレスの増加とレトロトランスポゾンL1活性化の可能性: 上述の胎児期ヒ素曝露によってみられた遺伝子の発現変動から、肝臓での酸化ストレス増大の可能性が示唆された。そこで酸化ストレス誘導性遺伝子であるHO-1の発現を検討したところ、対照群と比較してヒ素群で後発的にHO-1の発現が有意に増加することが観察され、胎児期ヒ素曝露によって肝臓で後発的に酸化ストレスの増加が起こることが示唆された。また近年化学発癌への関与が報告されているレトロトランスポゾンL1の活性化の関与を検討した結果、74週令の特に腫瘍のある肝臓の正常組織で胎児期ヒ素曝露によるL1の有意な発現増加が観察された。 酸化ストレスやレトロトランスポゾンの活性化は、ゲノム不安定性や突然変異を誘導し癌の促進に働く可能性が報告されていることから、これらの後発的な変化が腫瘍の増加に関与する可能性が本研究によって示された。

4)DNAメチル化変化領域の網羅的検索: 胎児期ヒ素曝露による腫瘍を特徴付けるマーカーや、腫瘍増加の機序を探るために、胎児期ヒ素曝露によって特異的にDNAメチル化が変化する領域をMeDIP-マイクロアレイ法により検索し、MSPおよびBisulfite-sequencingによって検証した。その結果、対照群とヒ素群の腫瘍組織でDNAメチル化量に差のある領域や、またヒ素群の腫瘍において非腫瘍組織と比較して腫瘍組織で特徴的にメチル化が低下する領域を見いだした。そのうちの1領域は癌遺伝子内にあり、この遺伝子の発現がヒ素群で有意に増加していることが明らかとなった。

5)まとめ*: 本研究では、C3Hマウスにおける胎児期ヒ素曝露による腫瘍増加の実験系において、Ha-ras変異の増加を明らかにし、また癌の促進に関与する可能性のある後発的な変化を明らかにした。またヒ素による腫瘍で特徴的にDNAメチル化変化をおこす領域を見いだした。これらの現象がいかにして誘導されるかの機序に関しては今後の課題である。このような研究の結果が、癌の治療や予防の標的を明らかにすることに役立つことを願って、さらに研究を進めたいと考えている。 *本研究の結果は、現在投稿中である。謝辞:MeDIP-マイクロアレイ解析は国立がん研究センター研究所、山下聡博士、牛島俊和博士との共同研究で行われました。

            臨床医学から   座長 須藤鎮世会員 (就実大学・薬学部)

3.発がん過程における環境因子とエピゲノム異常        近藤 豊(愛知県がんセンター研究所 分子腫瘍学部)

  悪性腫瘍はゲノム・エピゲノム異常を原因とする疾患である。近年のゲノム・エピゲノム解析技術の進歩により、様々ながん種におけるエピゲノム異常が明らかになりつつある。ほぼすべてのがん細胞で何らかのエピゲノム異常が存在することが分かってきたため、がん細胞のエピゲノム異常を明らかにすることは、その分子機構を標的とした新しいがんの診断・治療法につながると考えられる。発がんには環境要因への持続的暴露が深く関与していると考えられている。これまで我々の研究室では、実際のがん症例やモデル動物を用いたDNAメチル化とヒストンのメチル化修飾の網羅的解析を行い、発がんに関わるエピゲノム異常の蓄積様式を報告してきた。例えば社会的問題となっているアスベスト暴露は、悪性胸膜中皮腫(中皮腫)の発症と関わっている。中皮腫において、ジェネティクスおよびエピジェネティクス異常をゲノムワイドに解析し、中皮腫に内在するこれらのゲノム異常とアスベスト暴露との関連について検討した。この解析から中皮腫特異的にメチル化する遺伝子を見出し、診断マーカーとしての有用性について示した。また肝細胞がんは、肝炎ウイルスによる慢性肝炎を母地として発生する。日本ではB型、C型肝炎ウイルスの感染率が高く、がん発生までの過程を解明することは重要な課題である。肝細胞がんにおいて、DNAメチル化異常の解析を行いエピゲノム異常の蓄積様式を明らかにし、がんの発生予測因子としてのDNAメチル化解析の意義を示した。現在はヒト肝細胞キメラマウスを用いた肝炎ウイルス感染後におけるDNAメチル化解析から、DNAメチル化の蓄積機序について検討している。生活環境や環境発がん物質などへの暴露とエピゲノム異常の関連について、今後益々研究の重要性が増していくと思われる。エピジェネティクス解析を基盤とした分子機構の解明から、発がんのリスク診断やがんの予後予測診断など、個々の情報に基づいた個別化医療と疾病予防にまで発展が期待できると考える。

4.エピゲノムと生活習慣病       酒井寿郎(東京大学先端科学技術研究センター代謝医学)

  ヒトの染色体は生まれた時点で機能が決まっているのではなく、DNAのメチル化やクロマチンを構成する蛋白のヒストンのアセチル化やメチル化で規定される。従来のゲノムに対して、塩基配列以外の染色体修飾を含めた情報の全体をエピゲノムという。ワトソンクリックらによるDNAの二重螺旋構造の解明からの半世紀は様々多メンデル型の遺伝性の疾患の解明が大きく進んだ。一方がんや糖尿病・動脈硬化などの生活習慣病については、中心は明らかに成人・高齢者の多因子疾患に医学の焦点が推移しつつある。しかし、メンデル遺伝の考え方の延長では非メンデルの多因子疾患の解析は困難である。そこにエピゲノム解析は大きな転換点を示した。DNAを巻き付けるヒストンが修飾されると、修飾の情報も染色体複製のときに複製される。うまれてからの記憶を生み出す仕組みとしてエピゲノムが注目されてきている。こうした新たな課題に答えるために核内タンパク質のプロテオミクスとエピゲノム解析を併せて系統的なシステム生物学的解析が始まろうとしている。 遺伝子の働き制御する「エピゲノム」DNAのメチル化やヒストンに分子がつくことなどは、エピゲノムと呼ばれる。エピはエピローグのエピで、後という意味である。エピゲノムは、ゲノムの後天的修飾を意味する。エピゲノムによる遺伝子制御の仕組みを探る学問がエピジェネティクスである。神経、皮膚、筋肉…。なぜ、DNA配列は同じなのに、異なる細胞を作り出せるか。同じ量を食べても太りやすい人がいるのは、DNA配列の個人差だけによるものなのか。そんな問いに答えを出そうと、遺伝子の働きを制御する「エピゲノム」と呼ばれる仕組みの研究が進んでいる。ヒトの体は約60兆個、200種以上の細胞からなる。すべての組織、臓器の細胞は同じDNA配列(ゲノム)を持つのに、役割は異なる。約2万の遺伝子のうち、どれが働くか、「ON」と「OFF」の組み合わせが違うからと考えられている。細胞には、不要な遺伝子にカギをかけて働かなくするなど、遺伝子を制御する仕組みが備わっている。建物の入り口、各部屋、金庫…とカギのかけ方が違うように、遺伝子のカギの仕組みも複雑である。1個の細胞からなる受精卵が様々な組織の細胞に分化する際には、カギをかける領域がダイナミックに変化する。 ・ヒストン修飾とメチル化、脱メチル化酵素多数の遺伝子の働きを制御する「カギ」の仕組みは複雑である。2メートルに及ぶDNAは、ヒストンというたんぱく質に巻き付くことで、細胞内でコンパクトに収まっている。大ざっぱにいうと、DNAがヒストンに巻きついたものが、ぎっしり詰まった状態になった部分には、遺伝子のスイッチを入れる「転写装置」がくっつけず、遺伝子は働けない。DNAのヒストンへの巻き付きがゆるんだ状態になると転写装置がつき、遺伝子が働く。メチル基はDNAだけでなく、ヒストンにも結合し、別のカギの一部になる。ヒストンにメチル基をつけたり外したりする酵素が多数あることもわかってきた。細胞の外から入る信号によって、メチル基やほかの分子が複雑な反応を起こし、DNAの巻き付き方が調節される。京都大ウイルス研究所の真貝洋一教授らは、このメチル基を外す酵素の一つがないマウスを遺伝子操作で作った。このマウスは生まれた時は普通なのに、どんどん太りだす。我々の解析から脂肪の燃焼効率が悪く、糖尿病になりやすく、肥満にかかわる遺伝子の働きが多数、「OFF」になっていることが判明した(後述)。 PPARγの2つの標的,H3K9メチル化酵素(Setdb1)とH4K20モノメチル化酵素(Setd8)は脂肪細胞分化を制御する PPARγは,脂肪細胞の分化モデル細胞である3T3L1細胞で分化とともにロバストに発現が上昇する.この標的遺伝子Setdb1は脂肪細胞の分化過程で,発現が減少する.一方,Setd8は分化とともに発現が上昇する.PPARγのアンタゴニストや,RNAiを用いたノックダウンによってPPARγの機能や発現を阻害することでSetdb1とSetd8の発現変動が抑えられることから,PPARγが直接Setdb1とSetd8をそれぞれ正と負に制御していることが示唆された.以上からPPARγはこれらのヒストン修飾酵素遺伝子の発現を制御して,脂肪細胞の分化を制御している可能性が示された[2].PPARγはこれらヒストン修飾酵素遺伝子のメチル化状態を変えることでこれらの遺伝子発現を制御し,さらにこれを介して脂肪細胞の分化をエピゲノム修飾から制御する経路があることが明らかにされた. H3K9のエピゲノム修飾異常マウスは肥満を呈する H3K9の脱メチル化と肥満・生活習慣病との関連を解析するため,H3K9に異常があるマウス(JHDM2A-KO)を遺伝子工学的に作製したところ,驚くべきことに,肥満・インスリン抵抗性を呈する生活習慣病のモデルマウスとなった(京都大学、眞貝教授らとの共同研究)[3, 4].ヒストンH3リジンのメチル化は、転写のサイレンシングを引き起こす鍵となるヘテロクロマチンのエピジェネィックマークである。近年、多くのヒストンリジンの修飾は可逆的であり、jumonji C (JmjC)-ドメインを有する蛋白が脱メチル化を有することが最近示されてきた。JHDM2A (JmjC-domain-containing histone demethylase 2A, JMJD1A)はH3K9のmono- and dimethylationをαケトグルタル酸および鉄依存性に触媒する酵素で、マウスにおいては精子形成に重要な役割を有することが示されている。我々はJHDM2A-KOマウス解析から、JHDM2Aがエネルギー代謝に関与する遺伝子の発現を制御し、JHDM2A-KOマウスがadult onsetの肥満、高脂血症、高インスリン血症、高レプチン血症などメタボッリック症候群に特徴的な症状を呈することを明かとした。JHDM2A-KOマウスは絶食下では低体温を呈し、エネルギー消費が低下していることが示唆され、また、代謝ケージの実験からは呼吸商が野生型マウスと比べて夜間上昇していることから、エネルギー源としての脂肪燃焼が低下していることが示された。 エピゲノム創薬エピゲノムは栄養やホルモン、ストレス、老化、病気などによって変化する。DNA配列と違い、一生の間に変化するということは、薬でも変化させられる可能性が大きい。エピゲノム変化は遺伝子配列と異なり、可逆的であるので、治療薬物の開発として有力な標的である。今後、生活習慣がどのように代謝を変化させているかのメカニズムが明らかとなり、生活習慣病へ、画期的な新規治療法を開発できる可能性がある。

1. Okamura M, Sakai J, et al: COUP-TFII acts downstream of Wnt/b-catenin signal to silence PPARg gene expression and repress adipogenesis. Proc Natl Acad Sci U S A, 106, 5819-5824. (2009)

2. Wakabayashi KI, Sakai J, et al: PPARg/RXRa Heterodimer Targets Gene of Histone Modification Enzyme PR-Set7/Setd8 and Regulates Adipogenesis through a Positive Feedback Loop. Mol Cell Biol. (2009)

3. Tateishi K, et al: Role of Jhdm2a in regulating metabolic gene expression and obesity resistance. Nature, 458, 757-761. (2009)

4. Inagaki T, Sakai J, et al: Obesity and metabolic syndrome in histone demethylase JHDM2a-deficient mice. Genes Cells, 14, 991-1001. (2009)

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