続澁声徹語 第8回 「真鶴」

 私の住んでいる湯河原町の東隣が真鶴町で、人口1万余りの漁業・採石業を中心とした小さな町である。しかし、夏の「船まつり」は日本三大舟祭りの一つになっているほど

有名である。最近、散歩の足を延ばしてこの町を歩くことが多くなったが、いろいろと面白いところが多い。また、この町の情報センターの一室を借りして、もう10年近く、

月1回の勉強会をしてきた場所でもある。

 

 町の道のほとんどは上りか下りであり、平らな道はほとんどない。その間に「背戸道」という車の通れない、日常の生活に使われている細い道がたくさんはりめぐらされてい

る。「背戸道」は長くつながっており、意外な場所に抜けることが出来る。これを発見するのも「真鶴」散歩の大きな醍醐味である。

 

この町は「東洋のリベエラ」とも呼ばれていた。高台から港を見下ろした光景など、たしかに一幅の絵である。これを絵に描いている人も多く、私も何回かスケッチをした。ま

た、この景色を好んで、ここに住んでいる画家も結構いるらしい。また、この町に永住した「中川一政」の美術館も岬にある。一政はよくスケッチをした「福浦(湯河原町)」

の突堤を「世界一広いアトリエ」と称した。

 

町の自慢は「魚つき林」で、江戸時代から半島にうっそうとした林が植林され、今でもよく保存されている。この林のお陰で、養分に富んだ水が海に流れ出し、プランクトンに

富んだ海となる。真鶴の海は魚が豊富であると言われている。

 

源頼朝は平家との石橋山の戦いで敗れ、真鶴からたった7騎で安房に逃れた。その時、頼朝らを世話した村人3人に姓を与えたという。青木、五味、御守である。しかし真鶴では

青木姓がずば抜けて多い(約10%)ことは、遺伝学では説明できない。選挙で、青木某という同姓同名が二人立候補したこともあった。結局、案分比例で当選者が決まったが、

当落は1票差以下で決まったという。

 

真鶴の山の部分では、採石が盛んで、質のいい「本小松石」が採石されている。これらは大型ダンプカーで運ばれ、港から大きな船で積み出されている。江戸城の石垣もここの石

で造営されたという。魚と石との取り合わせは何だか妙だ。

  廃業の採石場に昼ちちろ      徹   (05/22/20)

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