続澁声徹語 第3回 「旧制高校」

 旧制高校というものを知ったのは、大学受験の頃であった。NHKで特集があり、映像とともに有名な寮歌が流されたことがあった。北大予科の「都ぞ弥生」、一高の「ああ玉杯に花受けて」

や三高の「紅萌ゆる」などであった。どれも当時の学生によって作詞、作曲された名曲で、聴いていると心に沁みた。旧制高校生は卒業すれば、官立大学のどこかには入学出来たエリート層で

あったらしい。

 

 旧制高校をはっきりと意識したのは、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」で、終戦直後の松本高校時代での出来事を青春の哀歓を込めてつづった本である。その時、私はすでに戦後に創設

された地方大学に入学しており、旧制高校とは無縁な存在であった。つくづく旧制高校の後継大学に入るべきだったと思った。

 

私の義父と恩師の近藤恭司先生とは旧制松江高校の理科で同期であったらしい。これは、妻が近藤先生の秘書になってから分かった。義父にこのことを話すと、当時寮でひそかにヘビを飼って

いた寮生が、遠征試合で暫く寮を開けている間に、飼っていたヘビが逃げ出して廊下でとぐろを巻いていたらしい。寮の会議で、「ヘビを捨てるか寮を出てゆくか」と迫られた寮生はヘビを抱

いて、悠然と寮を出て行ったという。どうもこれが近藤先生に違いないという話になった。

 

松本には旧制松本高校の一部が「旧制高校記念館」となって残っている。弟は信州大学の工学部卒だが、教養の1年間をここで遊学した。木造で隙間風が吹き込んでとても寒かったという。私が

最も好きな寮歌は、松本高校至誠寮の「春寂寥」である。もし旧制高校を受験できるなら、断然松本高校を受けたい。松本に行った折には、よく記念館を訪問し、一時的に松本高校生を気取って

いる。

 

高校生活では青春を謳歌できたという。同じ学年を2年、計6年間在学出来るが(表裏)、これを過ぎると退学(凱旋)となる。再度入試を受けて入学してきた猛者もいたという。しかし旧制高校

は、戦後GHQの命令で廃止された。日本にエリート層を残存させるからだという理由からしい。しかし、エリート層である今の官僚たちは上への忖度ばかりで、昔の旧制高校生の持っていたよう

な気概がないように思われる。もう一度旧制高校を復活させてみてはどうだろう。

  信濃路に五色の手毬山白く     徹 (04/17/2020

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