エピジェネティックトキシコロジーの重要性

森 千里(千葉大学大学院医学研究院環境生命医学、予防医学センター、環境健康フィールド科学センター )

    遺伝子発現はさまざまな方法で制御されているが、エピジェネティックは重要な制御機構の1つで、細胞分裂を経て伝わりうる遺伝子の機能変化を指す。エピジェネティックはDNAの塩基配列に影響を及ぼすものではなく、DNAのメチル化やヒストンの修飾などいくつか異なるメカニズムが知られている。

    内分泌撹乱化学物質 (いわゆる環境ホルモン) は、多くの場合変異原性を持っていないにもかかわらず長期的影響を示したり、胎児(仔)期や新生児(仔)期に曝露した影響が思春期になってから現れるといった晩発効果を示したりする。晩発効果の例としては合成女性ホルモンの1種であるジエチルスチルベストロール(diethylstilbestrol,  DES) の影響が有名である。DESは1940年代から1960年代にかけて流産防止のために多用された。ところが、その児が思春期に達したころに生殖器にがんが多発することが明らかとなり、その使用が中止になった経緯のある薬剤である。変異原性のないDESがこのような晩発効果を示すのは、遺伝子配列には影響しないが細胞分裂を経ても維持される何らかの変化が生じたためと考えられる。動物実験では、新生仔期にDESを投与されたメスマウスは18ヶ月後に高率で子宮がんを発症し、子宮で複数の遺伝子のメチル化状態が変化していることが分かっている (Li S et al, Cancer Res 1997; 57 : 4356-4359)。

   筆者らも、新生仔期マウスにDESを5日間投与し、30日齢の精巣上体と子宮のメチル化状態をrestriction landmark genome scanning (RLGS) 法でNot Iサイトのメチル化状態の変化を調べた。精巣上体と子宮とでメチル化状態が異なる部位はわずか4ケ所であったのに対し、0.3 ug/mouse/dayの投与で精巣上体では6カ所の脱メチル化および1カ所のメチル化が、子宮では6カ所の脱メチル化、5カ所のメチル化が起こっていた(Fukata H, Mori C, Reprod Med Biol 2004; 3: 115-121)。また、DNAメチル化の変化はDESの濃度に依存的であった。DNAをメチル化する酵素Dnmt1やDnmt3bは5〜14日齢で発現が低下していた。メチル化状態に変化があった2カ所についてシーケンスを行ったところ、スポットU7はpaxillin遺伝子のイントロン1に、スポットU10 (図2) はhypothetical protein LOC628639とLOC628579の間に位置していた(Sato K et al, Endocr J 2009; 56 : 131-139)。  どの遺伝子のメチル化状態の変化ががんの発症に関連しているのかはまだ分かっていないが、メチル化状態の変化は初期に生じるうえ長期間その状態が維持されるので、子宮がんの早期指標となりうる。

   レチノイン酸 (RA) は口蓋裂などを誘発することが知られている。その機序を調べる目的でRAを妊娠マウスに投与し、GD13.5, 14.5, 18.5のゲノムのメチル化状態を測定すると、対照群ではGD14.5でメチル化が上昇するのに、RA投与群では有意に低下した。RLGS法でGD18.5におけるNot I部位のメチル化変化をみると、6か所でメチル化状態が変化していた (Kuriyama M et al. Cleft Palate Craniofac J 45: 545-551, 2008)。

    遺伝というとDNAの塩基配列により規定されたもので、環境要因で遺伝情報が変化するということは容易には起こりにくい。しかし、DNAのメチル化などエピジェネティックな変化は比較的簡単に起こるにも関わらず、それが変化すると遺伝子発現を変化させ、晩発効果を示したり、経世代影響を示したりすることを紹介してきた。

   DNA配列の変化を伴う遺伝情報の変化 (= 突然変異) がDNA配列の変化を伴わない遺伝情報の変化 (= エピジェネティック変異) と密接な関連があることが腫瘍細胞の解析などでよく理解されるようになってきた。エピジェネティックな変化がDNA修復系の酵素に起これば塩基配列の変化を増加させることにもなる。化学物質が一時的に生体化学反応を撹乱したり遺伝子発現の撹乱を引き起こしたりするだけであれば、その影響は一時的・限定的であるが、変異原性を有しない多くの化学物質やその他環境因子もエピジェネティックな変化を引き起こすことが明らかとなり、特に、エピジェネティック変異が遺伝することもあることが分かってきた(Anway MD et al, Science 2005; 308 : 1466-1469) ことから、今後は「エピジェネティック変異原性」に一層の注意を払う必要がある。

    エピジェネティックな変化は、化学物質等の要因が直接的にDNAに作用して引き起こすわけではなく、遺伝子発現が乱された結果起こるものであるから、細胞の種類や化学物質等の要因が作用する時期などによりその変異は全く異なることが考えられる。今後、いわゆる変異原性に加え、エピジェネティック変異原性の評価が重要となる。

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