Environmental Epigenomics(環境ゲノム発現撹乱)” への招待

                                  澁谷 徹 (“Tox21” 研究所)  (t.shibuya.tox21@zpost.plala.or.jp

  最近,”Epigenetics”という言葉を種々のメディアでよく目にする.遺伝子DNAは,配偶子形成段階および個体の発生中,あるいは定常状態にある成体の分裂細胞において,正確にその遺伝情報を複製するとともに,その遺伝情報を時間的および空間的に正確に発現して,個体の発生過程および成体の生命機能を維持している.この遺伝子発現の統御機構を”Epigenetics”という(1).当然、発生中の胎児細胞においては,成体に比べてより高度な制御をうけている.日本語ではよい訳語がないので,英語そのままに「エピジェネテックス」と呼ばれている.現在,大きな注目を浴びているiPS細胞は,”Epigenetics”を自由に操作することで再生医学に応用出来ることが期待されている細胞である.

   発生中に親から経胎盤的に受けた化学物質や栄養成分などが,発生中の胎児において、高度にプログラムされている遺伝子発現を撹乱する例が知られている.最近では,個体の発生中における母親の行動さえも、胎児の遺伝子発現に影響を与え,出生後にその影響が子供に残る現象があることが報告されている.もちろん成体の細胞にでも種々の外因性物質によって,遺伝子発現が影響を受け,がんなどの悪影響を受ける.これらは,”Environmental Epigenomics (EEG) ”という概念で包括されている(2).まだ適当な訳語はないが,「環境ゲノム発現撹乱」と呼んでみよう.その影響は,発生中の生殖細胞を含めた胎児細胞においてより大きいことになる.

    すなわち,EEGとは,外因性物質などによって,遺伝子は「突然変異」による構造的な変化は受けてはいないものの,DNA塩基のメチル化やヒストンの脱アセチル化などが誘発され,そのために遺伝子発現が撹乱される現象をいう.その結果,最終産物であるたんぱく質合成が,正常の”Epigenetics”から逸脱し,その個体の正常な発生および成体での生命機能が障害される現象を言う(3).

   体細胞においては,EEG が,癌をはじめとする多くの疾患の原因となっていることを支持するデータが蓄積されつつある.発癌過程では,これまでにInitiation,Promotion さらにProgressionなどの段階があることが知られており,これらすべてを「突然変異」だけで説明することは困難であった.今後は,発がん過程について,「突然変異」にEEG を含めて考えれば,かなり容易に発癌過程が説明出来るようになろう(4.5.6).また,EEG はヒト癌の診断や治療などの臨床分野においても有用な手段となるものと考えられている.

    近年,EEGによって,胎生期に暴露された化学物質などの影響が,生殖細胞を経由して経世代的にも伝達されることが発見され,大きな衝撃を与えた.Skinner ら(7)は,抗カビ剤で抗Androgen作用を持つVinclozolinやEstrogen活性のあるmethoxychlorを発生中のラットの胎児に経胎盤的に投与した.この時期の生殖細胞は,始原生殖細胞の段階にあり,それらが性分化を開始する時期にあたる.得られた雄ラットを無処理のメスと数世代にわたって交配した.経胎盤投与によって,精子形成に関与する遺伝子がメチル化を受け,それらの発現が抑制され,4世代にもわたって雄ラットの繁殖性に影響を与えた.この結果は、Scienceに発表された.さらに彼らは,これらのマウスが成熟後に,ヒトで見られるような種々の疾患を呈することを確認している(8).彼らはそれらを総合し,これらの原因が,農薬による生殖細胞の遺伝子のメチル化,すなわちEEGによるものであると結論している.

     これらの結果は、臨床医学にも大きな影響を与え、癌、精神疾患、免疫異常さらに心臓疾患の分野において、EEGが大きく関与していることが次々と報告されている。これらを”Epigenetic Medicine(エピジェネテック医学)と呼び、カナダを中心に先鋭的に研究されつつある。日本においても、「日本衛生学会」(9)や「環境ホルモン学会」(10)などで、シンポジウムが開催され、臨床医学界からも注目されつつある。このように、EEGはこれまで、比較的関連が希薄であった、前臨床試験、臨床試験さらに臨床医学までも、統合できる可能性を秘めている重要な概念である。

    胎児期の生殖細胞(始原生殖細胞)への化学物質の投与によって,高頻度で突然変異が誘発されることは,最初に澁谷 徹ら(11,12) によって,直接アルキル化剤ENUを用いて報告された.放射線や化学物質の胎生期暴露によって,胎児の体細胞が奇形などの影響を受けることは知られてはいたが,生殖細胞にも突然変異が誘発されたことは大きな発見であった.また突然変異の誘発率は,成体の精祖細胞よりかなり高頻度であった.しかし,その際に受けた突然変異として固定されなかったDNA塩基の修飾は,その次世代での卵や精子形成の段階で解除されるものと考えられてきた.しかし,上に述べたSkinnerらの結果(7,8) は,それらDNA上のメチル化などの修飾が生殖細胞においても世代を越えて伝達され,遺伝子の発現を撹乱する可能性を示した衝撃的な報告であった.

      この後,放射線や化学物質処理によって,この結果を支持する結果が散発的ではあるが、発表されつつある.Skinnerの論文(7.8) については,投与された化学物質の用量が通常の使用量に比べてはるかに高く,ヒトに対する影響については,用量―作用反応に立脚した考察などが必要であろう(13).しかし,彼らの結果から,今後はある世代に暴露された化学物質による「ゲノム発現撹乱」を次世代以降の生殖細胞においても考慮する必要性が示された.人類は,これまでに長い世代にわたって,化学合成や原子力の開発によって,多くの人工の化学・放射物質などを使用してきた.そしてそれらの恩恵によって地球上での繁栄を謳歌してきた.しかし,それらを使用することについて,非常に大きな問いかけを受けていることになる.

    振り返って見ると,日本ではこれまでに,野村大成(阪大・医)(14)の「マウス高発癌性の遺伝」や長尾哲二・藤川和男(近畿大学)(15)の「雄処理による経世代奇形」といった優れた研究結果があった.経世代で発現する,癌や奇形の誘発頻度は通常の突然変異頻度に比べて2ケタも高く,この結果はこれまでの「突然変異」では説明が出来なかった.しかし,これらの結果には,「ゲノム発現撹乱(EEG)」が関与しているものと考えれば,十分に説明出来るかも知れない.このように,日本では放射線や化学物質による,生殖細胞への影響に関する研究分野では,すでに優れた研究成果が得られており,日本はEEG 研究の先進国といっても過言ではない.

    これまでの,「環境変異原研究」では種々の生物材料を用いて,化学物質や放射線による,アダクトの形成から修復段階を経て,DNA(染色体を含めて)の突然変異にいたるまでの,すべての過程を調べ,それらの結果をヒト体細胞での発がんや生殖細胞による遺伝的影響の評価に外挿してきた.しかし,これらによる突然変異の頻度は非常に低く,それらの結果から「癌原性」や「遺伝的影響」を予測するには信頼性が低く,”False positive/negative”が多いとの批判を受けてきた.そのために,「環境変異原研究」は,「毒性学」の主流とはなりえなかった.

    しかし,放射線や化学物質によって,種々の臓器において毒性が発現する基盤には,まずそれらによる「DNA発現の撹乱」があり,これらが個体の各臓器の細胞に起こり,「発癌」を含めた種々の毒性が発現されるものと考えることができる(15,16).その中心となるメカニズムがEEGである可能性が高い。「毒性学」は今後,「DNA発現の撹乱:EEG」をその基盤として再構築すれば,よりヒトへの毒性を余地できる信頼性の高いものなりうると確信している.これからの「毒性学」の主役は「DNA」ではなく「RNA」となるであろう.それによって、医薬品や種々の化学物質における,前臨床試験、臨床試験さらに臨床医学までもが統一的に理解できる大きな可能性が開けてくる.

   ”Epignetics”はひょっとすると,人間の健康管理の概念をまったく新しいものに書き換えてしまうかも知れないのだ.DNAは運命だが,修正可能な運命だ. Moalem, M.: "Survival of the Sickest” [迷惑な進化: 矢野真千子訳]

参考文献

1. Allis. C.D..Jenuwein. T. and Reinberg. D.: “Epigentics”. Cold Spring Harbor Lab. Press. pp.502. Cold Spring Harbor. New York. 2006

2. Szyf. M.: The dynamic epigenome and its implications in toxicology. Toxicol. Sci., 100.7-23. 2007

3. Jirtle. R.L. and Skinner. M.K.: Environmental epigenomics and disease susceptibility. Nature Rev. Genet..8.253-262. 2007

4. Ushijima. T. and Okochi-Takada. E.: Aberrant methylations in cancer cells: Where do they come from? Cancer Sci..96. 206-211. 2005

5. Feinberg. A.P.. Ohlsson. R. and Henikoff. S.: The epigenetic progenitor origin of human cancer. Nature Rev. Genet..7. 21-33. 2006

6. Jones. P.A. and Baylin. S.B.: The epigenomics of cancer. Cell. 128: 683-692. 2007

 7. Anway. M.D.. Cupp. A.S.. Uzumcu. M. and Skinner. M.C.: Epigenetic transgenerational actions of endocrine disruptors and male fertility. Science. 308.1466-1469.2005

 8. Anway. M.D..Leathers.C. and Skinner. M.K.: Endocrine disruptor Vinclozolin induced epigenetic transgenerational adult-onset disease. Endocronol.. 147. 5515-5523.2006

9.Yuasa, Y. et al., Environ. Health Prevent. Med. 13, 2-29, 2008

10. 福岡秀興:環境ホルモン学会シンポジウ講演要旨集、2008年6月,東京

11. Shibuya. T.. Murota. T.. Horiya. N.. Matsuda. H.. Hara. T.: The induction of recessive mutations in mouse primordial germ cells with N-ethyl-N-nitorsourea. Mutat. Res. 290. 273-280.1993.

12. Shibuya. T.. Horiya. N.. Matsuda. H.. Sakamoto. K..Hara. T.: Dose-dependent induction of recessive mutations with N-ethyl-N-nitorsourea in primordial germ cells of male mice. Mutat. Res. 357. 219-224. 1996

13. Preston. R.J.: Epigenetic processes and cancer risk assessment. Mutat. Res..616. 7-10. 2007

14. Nomura. T.: Paternal exposure to X rays and chemicals induces heritable tumors and anomalies in mice. Nature. 196. 575-577.1982

15. Nagao. T. and Fujikawa. K: Genotoxic potency in mouse spermatogonial stem cell of triethylenemelamine. mitomycin C. ethylnitrosourea. procarbazine and propyl methanesulfonate as measured by F1 congenital defects.. Mutat. Res..229. 123-128. 1990

16. Weihold. B.: The science of change. Environ. Health Perspect.. 114. A161-A167. 2006

17. Feil. R.: Environmental and nutritional effects on the epigenetic regulation of genes. Mutat. Res.600. 46-57. 2006         

 (11/21/2008)

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